キャベツの新生活

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キャベツの新生活
有吉 玉青
講談社 2005-10
評価

リレキショ 楽園のつくりかた 博士の愛した数式 エコノミカル・パレス つきのふね

by G-Tools , 2006/10/12



 恋愛小説というものをほとんど読まない。我が家の本棚には唯川恵江國香織が何冊かあるが、買ったのも読んだのも家人である。本人曰く、死体がゴロゴロ出て来るものよりは、恋愛小説の方が好きだとのこと。
 私は死体がゴロゴロの方が好みというのもあるが、恋愛小説を避けているところもある。ホレタハレタ話を読むと、自分の愚かな過去を思い出して「あーーーーーーーーーーーーー」という気分になるからである。そこから進歩していない自分の至らなさに、布団に頭を突っ込んでのたうちまわりたくなるからだ。恥ずかしさにいたたまれなくなるからだ。


 そんな訳で、本作も私が読むような小説ではない。はずだった。図書館の新入荷の棚にこれを見つけ、薄緑色の表紙絵が気に入って「ジャケ借り」しなければ。裏表紙の粗筋(愛し方を忘れた恋人たちが織りなす、ちょっとせつない恋愛小説)を読んでいたら、きっと読むのを躊躇したことだろう。結果としては、実に不思議な物語を堪能することができた。★★★☆☆


 主人公はキャベツというあだ名を持つ青年。彼が長期出張から戻ってみると、住み慣れたアパートがあったはずの場所が更地になっていた。貴重品は持ち歩いていたし、学生時代から住んでいた部屋にあったのはガラクタばかりだったはず。でも、あの部屋にあった何か大事なものを失ってしまったような気がする。
 戸惑いつつも、彼は心機一転して新たな生活を始める。新しく借りた部屋には、椅子もテーブルも食器もない。全部これから新しく揃えることができるのだ!まっさらなスタートに勢い付いたキャベツは、長年付き合った恋人に別れを告げ、全てをやり直そうと決意する。しかし、部屋と自分にしっくり来る家具は見付からず、自分から決別したはずの恋人のことばかり考えてしまう。そして、コンビニで知り合った不思議な少女との関わりを通して、キャベツは自分が失った「大事なもの」は何なのかに気付いていく。
 過去の記憶と奇妙な現状が交互に綴られることで、読者はキャベツの思い出の中に入り込んでいく。そして、最終盤で読者はこの物語の真の姿を知る。切ない思いの辿りつく場所を見ることだろう。


 一風変わった、しかし「恋とは何か」を深く考えさせる恋愛小説である。私も色々考えたり思い出したりして、やはり「あーー(略)」という気分にはなったが、同時に少し冷静に切なくもなった。
 自己中心的で、わがままで、一方的に望んでばかりだった。若さゆえの未熟が理由にならないほど勝手な行動ばかりしていた。後悔は消えないし、その頃の自分を許せもしないけれど、愚行を土台に今の自分が存在することもまた事実だ。二度と会うことのない人を思い出し、私バカだったな、悪いことしたな……などとセンチになったりもして、うぎゃー恥ずかしい。うわわ、やっぱり恋愛小説は控え目にしよう。死体がゴロゴロ出て来る本でも読んで、早くペースを取り戻さねば。

嫌煙家の妄言



 私はタバコの煙が嫌いである。心が狭いと言われようが、ケツの穴が小さいと揶揄されようが、とにかく嫌いなものは嫌いなんである。だいたい、肛門のサイズなんぞで寛容度を測られたくなんかないしね。
 私はタバコの煙が大っ嫌いである。しかし、何かを嫌っている人間は幸福ではない。それを見る度に腹を立て、鬱憤を溜め込み、イライラしてしまうからだ。嫌いなものを気にする余り、人が見つけるよりも早く、多くの対象を発見してしまうからだ。カップルにムカツク人にとっては、町は男女ペアで溢れかえっているように思えるし、子供嫌いの人にしてみれば、少子化というのはこのうじゃうじゃいるクソガキを勘定に入れていないのだろうかと感じられることだろう。私には、町中が歩行喫煙する人々で満ちているように思える。しかも、わざわざ私の前に回り込んでからライターを取り出す人が多いような気がする。こうなると、完全に被害妄想である。だが、開き直って妄想体質を楽しむこともある。そんな時は、こんなことを考えている。


 私はタバコの煙が嫌いなのだ。しかし、今朝も私を追い越したこのオッサンが、まさに私の前に立つその瞬間にポケットからライターを取り出し、咥えタバコに火をつけた。まったく、何故このタイミングなのだ。私の背中に「ここから先喫煙可」って書いてあるのか?
 タバコの煙なんて大大大嫌いだ。歩行喫煙などの公共の場所での喫煙は特に許しがたい。歩行喫煙する人は、(1)頭が悪い (2)性格が悪い のどちらかに決まっている。周囲にいる人間の不快さを推し量れないほどのバカか、周囲の不愉快を知っていてなおかつそれを無視するほどの無神経なのだ。ましてや、今オッサンが歩いている地区では、条例で歩行喫煙が禁じられているのである。ええい、品川区め。条例の適用をもっと厳かにせんかい。
 タバコの煙をこよなく憎む私は、しかしまっとうな社会人でもある。少なくともそう見えるはずだ。道行く歩行喫煙者に「タバコ吸うな!」「吸うなら煙を出すな!全部吸い込め!」とかいちいち言うことはできない。しかし、何かアピールする手段があったらなあ、と思っている。例えば、喫煙者は公共の場所で近くにいる人が「ウーウー」って唸ったら喫煙を中止するのがマナーです、とか。で、それでも喫煙を続けて、その後「グルルルル」って言われたら、あとは噛み付かれても文句は言えないとか。
 私が嫌いなのはタバコの煙なのだ。無点火の咥えタバコにまで「グルルルル」とは言わない。だから、今私は世界一のスナイパーになりたい。右手に隠し持つのは、小型の水鉄砲。すれ違う喫煙者、追い越していくスモーカーの手元口元を狙い、照準(水鉄砲にあるのか?)を合わせる。チュンと一撃、本人が気付かぬうちに一発消火。いいねえ、やりたいねえ。ゴルゴに弟子入りしようかな。


 私はタバコの煙が嫌いだ。今までは大人しく上品にしていたが、いつかぶち切れて凶行に走るやもしれぬ。聞くところによれば、「オナラ」は可燃性ガスだというではないか。前日に芋料理をたっぷりと仕込み、私の前に喫煙者が来た所を狙って追い越し、そして後方に向かってガスを出す。ふふふ……いつかやってしまうかもしれないよ。
 私はそれくらいタバコの煙が嫌いなのだ。

となり町戦争

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となり町戦争
三崎 亜記
集英社 2004-12
評価

半島を出よ (上) 半島を出よ (下) バスジャック 夜のピクニック 漢方小説

by G-Tools , 2006/10/12



 随分前に推薦されたものの、図書館の予約が一杯で中々順番が回ってこなかった一冊。そんなに読まれているということは、読みやすくドラマチックな小説だろう。タイトルからして児童文学かな?二つの町の小学生同士が、境界をまたぐ空き地を巡って争うとか。そんで、最後には友情が育まれてオシマイだな……とか勝手に考えていた。我ながら妄想たくましい体質である。
 しかし、タイトルだけで誰がこの内容を想像できるだろう?戦争という言葉が私の中で直接的意味を失っているのだろうか。そう、本書で描かれるのは(比喩や表現上の技巧ではない)本当の「戦争」なのである。
 一風変わった、だが読む者に何か深く考えさせる作品である。読むべし。


 これは、戦記のようなものではない。ある一人の男が、実感もないままに「となり町」との戦争に参加する様子を淡々と描く小説である。
主人公の住む町の広報紙に掲載された小さな告知記事が物語の始まりである。
【となり町との戦争のお知らせ】 
開戦日 九月一日
終戦日 三月三十一日(予定)
開催地 町内各所
内 容 拠点防衛・夜間攻撃・敵地偵察・白兵戦
お問合せ 総務課となり町戦争係
 こうして、戦時下の生活が始まる。いつもと変わらぬように見える町の中で、主人公の日常は少しずつ変化していく。役所で発行される辞令、細かい指示に満ちた提出用書式、そして静かに進行するスパイとしての暮らし。周囲の人々との関係も変わる。ある女性が彼を導き、一人の元傭兵が戦争における業務としての殺人を語る。
 戦争は自治体が管理運営し、専門のコンサルタント会社を入札で決定する。予算が計上され、定期広報で戦況が通達される。説明会が開かれ、担当者との質疑応答も行われる。地方行政の一部としての戦争。かなりシュールに思えるが、なぜか身につまされもする。私たちが「今度」参加する戦争があるとしたら、それはこの小説に描かれたようなものになるのではないだろうか。
 物語の中では、開戦の何年も前から戦争に関する予算が組まれ、それが公正な手段で公開されている。しかし、主人公はいざその日が来るまで全くそれに気付かない。(「銀河ヒッチハイクガイド」で「地球取り壊しのお知らせ」がずーっと掲示されていたのに誰も気付かなかったように。)けれども、町議会で予算が承認されているということは、町民がこの戦争を認めているということなのだ。ビバ民主主義。
 流血も殺戮も目の前には見えず、ただ広報に載る戦死者数や、身体の一部が欠損した人間だけが増えていく。実感できないままに、それでもそこに所属する一員として戦時活動に協力していく。その過程で自らは戦闘行為に参加しなくても、自身の行動が誰かの死に繋がっているのかもしれない。


 実に奇妙な作品である。しかし、文学が提示できるものの奥深さを見せ付ける力強さがある。これはね、ちょっと読んだ方がいいよ。できることなら、このような作品をこそ中高生への課題図書にしたいくらいだ。無理かな?

県経験値

kirindiary2005-11-30



というものを見つけた。
http://www.geocities.jp/karasugawahekiheki/keiken-map.html
 日本全国47都道府県を、「住んだ・泊まった・歩いた・降りた・通過した・かすりもせず」の6種に分類して色分けすることで、あなたの国内移動履歴が分かる……というものである。 記入を終えるとそのページのURLが作成される。
(細かい定義はないが、私は「通過」に飛行機による上空通過を含めなかった。)


 で、その結果がこちら


 経験値107点って、高いんだが低いんだか。ともあれ、西の方が弱いのは一目瞭然。北海道と新潟はスキー、岐阜以北の「泊まった」県はほとんどが温泉旅行である。我ながら偏っとる。青森県の「通過」は、中学の修学旅行で十和田湖の秋田側から船を乗り降りしたため。中部日本の「通過」は東海道新幹線岡山県の「通過」は、香川にうどんを食べに行く時に車で通り過ぎた。
 こうやって見ると、「次に旅行する機会にはここらへんの空白を埋めたい!」という気分になる。まずは近いところで和歌山県を攻め、海に面した温泉につかりつつ蜜柑をもぐもぐやりたいところである。
 さて、皆さんの経験値は?

WRC初心者の楽しみ2



 今年突然見始めた「世界ラリー選手権WRC)」が、先日のオーストラリア・ラリーを最後に今シーズンの幕を下ろした。初心者ながら、ドライバーを初めとするラリーに関わる人々に魅了され、実に興味深く楽しむことができた。以下は今シーズンを振り返っての思いなど。


・ドライバー・スタンディングス(個人成績)では、セバスチャン・ローブシトロエン・フランス)が断トツぶっちぎりのトップ。中々の二枚目なのだが、インタビューの受け答え(「アー」が多く挿入されるフランス訛りの英語)が常に誠実で好印象。まあ、好成績ならいつも機嫌はいいだろうけど。髪が少し来ていることや、意外に小柄な点も結構好きだ。


・マニファクチュア・スタンディングス(チーム成績)でも、ローブの大活躍を反映してシトロエン(フランス)がトップに立った。二位は同じくフランスのプジョー。しかし、この2社は来季WRCからの撤退を決めている。一体来季はどうなっちゃうんだろう?


・私、恋をしてしまいました。彼の名はペタ・ソルベルグ(スバル・ノルウェー)。集中してくると運転中に口をぽかーんと◇菱形に開ける姿に惚れ申した。普段はバカっぽく見えるほど稚気に溢れた明るさを見せるのに対し、リタイアを余儀なくさせられた時に見せる意気消沈具合のギャップにキュンとします。残念ながら所帯持ち。(いや、お互い独身でもどうともなりませんが。)


・そのペタは個人成績で2位となり、チーム成績でスバルを4位に導く活躍を見せたが、今季通しての印象は「悲運」。特に、ジャパン・ラリーでのデカイ石に当たってそのまま木に激突してのリタイアと、オーストラリア・ラリーでの飛び出してきたカンガルーに衝突したためのリタイアは不憫だった。両方とも前日まで首位だったこともあり、その落ち込みようは凄まじかった。来季の幸運を祈る。


・ちなみに、ペタさんの公式サイトはコチラ。
http://www.pettersolberg.com/
 カンガルー激突事件についての本人のコメント。”This is the time of the year for hunting, but kangaroo-hunting is nothing for me! This was no fun, just scary.”


・悲運といえば、9月に開催されたGB(イギリス)ラリーで、プジョーマルティンコ・ドライバーであるマイケル・"ビーフ"・パークが事故で亡くなられた。荒っぽい競技ではあるが、参加者の死亡は12年ぶりとのことだ。ご家族は勿論、長年のパートナーであるドライバーのマルティンの気持ちを思うと言葉もない。謹んでご冥福をお祈りする。


 さて、突然ラリーなんぞ見るようになった私に対し、家人が「お腹の子の影響だ」と言う。車が好きな男子が生まれるに違いない!とも。(そして将来はF1ドライバーになってモナコに豪邸を建てて……と妄想が続く。)
 そんなに好みがハッキリしていて、しかも影響力が強い胎児ってイヤだなあ。それに、レースそのものや自動車よりも、そこにいる人間の方が私にとっては興味深い。そんな訳で、モナコの豪邸はないと思うぞ。

11月某日 「コンランショップ」

 チーズバーガーが食べたくなって本郷の「Fire House」に赴くも、恐ろしく混雑していてとても入れない。店の外まで行列がズラズラ。なんだ、何事だ?と思ったら、どうも前日にテレビで紹介されたらしい。
 しかし、既に頭の中はチーズバーガーになってしまっているので、諦めずに河岸を変えてみることとする。丸ビルの「KUA’AINA」に行ってみると、運良くすぐに入ることができた。ああ、おいしい。塩分控え目な味付けも嬉しい。
 丸ビルには、家人の大好きなインテリアショップ「CONRAN SHOP」が入っている。私は密かに「(ぼったくり)混乱ショップ」と呼んでいる。だって、何もかもが高いんだもん!ソープディッシュが¥2,000ってなんじゃそりゃ。バスマット¥15,000。恐れ多くて足なんて拭けない。バスローブ¥30,000!コート代わりに着て出掛けるよ。
 しかし、会員カードまで持っている家人には言えない。目をきらきらさせて、食器やカトラリーを選んで歩く姿は(値札を見なければ)ほほえましくもある。(ちなみに、我が家で使用している食器類の9割5分は家人が選んだものである。)だが、いちいち値段に驚く無粋な私がそばにいては楽しくなかろうと思い、途中からは一人でフラフラしていた。これで心置きなく「うわっ、高っ!」とか、「スゴイ柄」とか言える。心の中で。
 そして……気付くと私の手にはカゴがあり、その中には2つの商品が入っていた。いや、そんなに高くなかったし……カワイイし……って、私は何を言い訳しているんでしょう。恐るべしコンラン・マジック。てゆーか、最近衝動買いメータが緩くなってないか?締め直さねば……。
 トラセリアというフランスのベビー雑貨ブランドの、キリン(¥1,155)とウサギ(¥945)のガラガラ(上写真)である。馬に見えるが、ちゃんとGIRAFFEと書いてある。振ると小さくカラカラ・カチカチと鳴る。うん、カワイイ。初めてコンランショップでお買物しちゃったよ……。

11月某日 「猫寝」

 最近うららが枕元(家人と私の枕の間)で寝るようになった。
 ベッドを整えようとするとやって来て邪魔をし、掛け布団をセットし終えるとどこかへ行ってしまう。しかし、しばらくすると再度現れているらしい(私は頭を枕に乗せたら30秒で寝てしまう)。彼女なりのスケジュールに従って動いているようだ。
夜半にふと気付くと、間の空間に丸まっているか、どちらかの枕に頭を乗せて眠る猫がいるのである。家人の枕の方がお好みのようだが、時々眼を開けると目の前にすやすやと眠る猫の顔が見えるのである。これを至福と言わずして何としようか。
 結論:世界一の猫、ますますパワーアップ。